プロフィール

 

「言葉と領域を超えて幸せな未来を創造する」

 

外国人総合相談員、申請取次行政書士

心に寄り添う異文化間コミュニケーター

 

神奈川県生まれ、アフリカ・欧州育ち、

横浜市在住


 

外国の方の在留資格を中心とする各種ご相談に対する丁寧なコンサルテーション、入国管理局への書類作成アドバイス、提出代行等の伴走サポートを通して幸せな日本在住の可能性を広げる専門家。

 

生後わずか6か月で父の赴任先であるラオスに渡航。以降、スペイン、フランス、コンゴ民主共和国で約10年間の幼少期を過ごす。中学1年生の時にモロッコへ。編入したフランス系の学校で、日本人でありながら日本のことを何も知らない“アイデンティティクライシス”に陥る。

 

「もう海外はいい、将来はずっと日本にいる!」と決めたものの、幼少期を過ごした地域への思い入れが消えることはなく、また日本社会に浸透しようとすればするほどに募る異物感を感じつつ、大学卒業後、海外経済協力実施機関にて対アフリカ援助業務、国別開発援助研究に従事。多忙ながらも充実した日々を送るなか、元配偶者の海外転勤を機に退職。以降、ミャンマー、エジプトに同行、日本語ボランティア活動や移民研究を通してその後の生き方を模索する中で申請取次行政書士の仕事を知り、日本国内で海外と関わる方向にシフト。資格取得後、行政書士法人にて研鑽を積み、約25か国、100名以上の申請を手掛け、許可率98%を達成する等大きな成果をあげるも2012年、フランス同行を機に再度キャリアを断念。幸せな人生とは何かを模索する中で、何者でもない私自身を「一人の人間」として尊重してくれたパリの空気に救われる。

 

2015年に帰国後、行政書士事務所CROSSROADにて始動。8か国、通算22年間の海外生活を含め「今ここにいる意味」に確信が持てずに苦しい時期を過ごした経験から、人生の一時期を日本で過ごす外国の方の法的安定性を確保し、日本での日々が明るく幸せに満ちたものとなるように、日本に来て良かったと感じてもらえるような環境を整えることで、私達日本人にとっても暮らしやすい「多様な価値観が共存する未来志向の社会作り」に貢献すべく相談業務を中心に日々邁進。2019年5月にCROSSINGBORDERS国際法務行政書士事務に事務所名を変更すると同時に、言葉と領域を超えた幸せな未来創りを目指した活動を自ら展開中。 

フォトアルバム

海外在住歴

 

1.ラオス、ビエンチャン

生後6か月で初めて飛行機による。バシュネットがなかったと思われる時代、そのまま座席に寝かされていたのだろうか…。

 

2.スペイン、マドリード

現地幼稚園に通う。すぐに慣れ、他の日本人のお友達の通訳をかってでていたらしい。

 

3.フランス、パリ

現地の幼稚園(年長相当)と小学校に通う。給食というには本格的すぎるメニューが楽しみで学校に通っていた記憶しかない。

 

4.ザイール(現コンゴ民主共和国)、キンシャサ

ベルギー系の小学校(2年生、3年生相当)に通う。「パリから来た子」というだけで日本人なのにフランス語ができる前提で授業中に発言を求められた。

 

5.モロッコ、ラバト

フランス系の学校(中学2年生~高校1年生相当)に通う。日本で楽しく過ごすうちにフランス語をすっかり忘れたうえに、カリキュラムの違い、授業・テストの違いに大苦戦。強烈なアイデンティティクライシスに陥り、父の職場に届く日本の新聞を手が真っ黒になるまで隅々まで目を通すことを日課にした。

 

6.英国、ミルトンキーンズ

父のスペイン語圏勤務を機に日系私立全寮制校(高校2年生、3年生)に編入。日本の大学に進学し、「ちゃんとした日本人」になることを決意する。

 

7.ミャンマー、ヤンゴン

帯同家族として赴任。忙しくも充実した職場を離れての赴任に当初は目標を見出せずにいたが、僧院で日本語を教えたり、日本人コミュニティーを通して現地の福祉団体等の活動に触れたりしながらあっという間に任期を終えた。初めて茶の湯に出会う。最初の先生に教えていただいたことは今でも時折思い出すほどありがたいご縁だった。

 

8.エジプト、カイロ

帯同家族として赴任、異文化の中で子育てを経験。インド、イギリスからのヨガインストラクターのもとにエクアドルからの友人と通い、エジプト人マダム達と不思議な空気感のレッスンを経験した。茶道サークルに参加し、お菓子保管・管理係を担当🍡

 

9.フランス、パリ

帯同家族として赴任。ようやく得た職を再度辞しての赴任、子育ての傍らパリ第一大学フランス文明講座(上級)、パリ第七大学社会科学研究科修士課程(科目履修)に通い、その後はベルリン自由大学の社会科学研究科修士課程をオンラインにて科目履修。子供が通う学校の保護者会役員として様々な国籍のパパ、ママと学校や地域の橋渡しをしながらイベントを企画したのは良い思い出。